蓮柊盆地

思いついたことをぽろっと

死にたくないなあ

死にたくないっていう人はたくさんいる。私の身の回りにも死にたくないって言ってる人はたくさん存在する。

一方で、一生死にたくないなって言ってる人は、私の周りには私を除いて誰もいない。

二十代から四十代の間にパッと大きなことをやって八十歳くらいに穏やかに死にたいっていう人はいた。その人は私が不老不死になりたいって言っているのを聞いて、あんま長生きするのも良くないと思うって言った。

穏やかに幸せに生きて、老衰して死にたいっていう人もいた。その人は、不老不死っていつか目的も何もなくなっちゃって、死にたいって思っても死ねなくてつらいじゃんって言った。

私の周りはそういう意見の持ち主ばかりだ。私と同じように、死にたくない、不老不死になりたいって言っている人と出会えたことは一度もない。母も父もは寿命を全うして死のうと思っていて、姉は死にたいけど死ぬ度胸がないっていう人だ。

「いつか死にたい」という考えが理解できないというわけではない。共感を示せないだけで、理解はしている。始まりがあるなら終わりがなければならない、永遠に続く人生について考えたくない、ということと似ているのだろう。

その考えは理解している。でも「不老不死は辛いモノ」と捉えて、その考えをこちらに対して言ってくることには、深い嫌悪感を覚えてしまうのだ。

「いつか目的を失って死にたくなるから」「死にたくても死ねないから」その理由は分からなくもない。きっとこの理由で不老不死を否定する人は、私よりもすこぶる優秀なのだろう。

だって私はそんな大層な目的で生きていない。「ご飯が美味しいから」「ゲームが楽しいから」「天気が良いから」「死にたくないから」生きている。見る人によっては目的ですらないような理由で生きている。記憶力も人よりないので、以前出会ったことがあるものですら新鮮味を感じる。記憶力がない割に感受性は豊かなので、懐かしさというものはよく感じるが。

再三書くが私は死にたくない。自分の存在が、自我が消えるのが本当に嫌で嫌で仕方ない。歴史の教科書に載るような、人類史に残ることをやりたい人とは全く違う。私が残したいのは私がいたという証じゃなくて、私自身だ。『他人が認識している私』を残したいんじゃなくて、『私が認識している私』を私のまま残したい。

私のクローンを作って私が死んだら交代してもらうというのも論外だ。だってクローンは他人から見たら私でも、私から見たら私じゃない。私と同じ思考をする別の存在でしかない。私の身体が死ねば私は死んでしまうことに変わりはない。

私という自我が続いていけるなら、私は別に人間から機械の身体に変えられたって構わない。そのくらい私は死にたくないし消えたくない。まあこの身体も私である以上無茶な話なのだろうが。

やっぱり理想は不老不死だ。怪我をしてもその部位が再生し、見た目や中身は変わらない、そんなファンタジーな存在が至高だ。ファンタジーがリアルになる日がくればいいのに。

ちなみに私は生き続けることが健全だと思っているわけではない。あくまでこれは私が死にたくなくて、それについて不老不死になったこともない人に想像で否定されるのが嫌というだけだ。死にたい人は死ねばいいし、死にたいのに死ねない人は生きるしかない。自分の意思で自殺できた人の意思は汚されるべきではないとは思っているが。まあこの辺は蛇足だ。

明日起きたら死んでました~なんてことになってないことを祈って、今日は寝ることにする。

街=風景

今週のお題「好きな街」

 

好きな街は?なんて質問、聞く機会も答える機会も中々ない。

好きな街と一口に言っても、『好きな街』というのがどういうものかは人によってさまざまで、『住みたい街・住んでいる街』の人もいれば『旅行に行くのが好きな街』の人もいる。

こうなるとそもそも街というものや街に求めているものが人によって違うんじゃないかとも思う。自分の居場所、逃げ場、あるいはただ単純な風景とか。

街は人によって様々だ。じゃあ私の『好きな街』ってなんだろうと考えてみると、『住みたい街』ではなく、『歩いて回るのが楽しい街』であるような気がする。住めば都というのが私のポリシーだからか、『理想の街』というのは私の中には存在しない。最悪につまらない意見ではあるが、どこに住んでも一長一短が見えてくるような気がする。

春に色とりどりの花が咲く街が好きだ。春の暖かな風を感じながら、いろんな花を見るのが好きだから。そもそも私は花を見るのが好きだった。

夏に綺麗な水が見られる街が好きだ。水なら、川でも海でも沼でも、ダムでも構わない。夏の暑くてうだるような空気の中で、飛び込みたくなるくらいの涼しさが伝わってくるような水が好きだから。

秋に紅葉した樹が道路の左右に生えている街が好きだ。紅葉した葉が落ちて道を彩っているのなんかもう堪らない。ただ銀杏の実だけは勘弁して欲しい。銀杏を避けて歩くのも秋の醍醐味だから、嫌いという訳では無いが。

冬に雪が程よく振り積もる街が好きだ。でも雪かきは嫌いだから本当に適度でいい。でも私は雪だるま作ったりするのも好き。雪が好きで嫌いだから、正直雪がなくて禿げた樹がたくさん見られる街も好きだと思う。

春夏秋冬を楽しめる街が好きだ。そういうのは日本ならではという感じがする。いつも違う風景の中で生きられるというのはとても幸せなことのように思っている。

つらつらと書いてきましたが、結局私はどんな街でも好きになってしまうのかもしれない。折角だから明日は外に出てぶらぶらしてみることにしよう。

明日天気になあれ。